どうして政党の推薦をうけないのか?

宇都宮健児氏が都知事選出馬へ 前日弁連会長

2012年11月8日 18時52分


 前日弁連会長の宇都宮健児氏(65)=東京弁護士会=が、石原慎太郎前知事の辞職に伴う東京都知事選(29日告示、12月16日投開票)に立候補する方針を固めたことが8日、分かった。9日に都内で記者会見し表明する。

 宇都宮氏を支える市民団体「人にやさしい東京をつくる会」によると、無所属で出馬し、政党からの推薦は受けない。石原氏の下で続いたトップダウンの行政を改め、都民の目線に立った都政を目指す。

 宇都宮氏は、ヤミ金融による多重債務者の弁護や、オウム真理教事件の被害者支援、貧困問題などに取り組み、2008年には「年越し派遣村」の名誉村長を務めた。

(共同)

よくあることだが、「市民団体」とか「市民運動家」という組織や活動家は「政党の推薦を受けないい」とよく言う。なぜだろうか?


本気で「人にやさしい東京をつくる」と思っているのなら、同じ思いの都民を結集したほうがいいではないか。


なぜ政党を排除するのだろう?


「都民の目線に立った都政」を目指したいと思いながら、同じ方向の政党の勢力を排除するのは、実現の可能性を自ら抑制するものである。


宇都宮氏は政党の推薦を受けないことに違和感はなかったのか?


政党の推薦はなくても「勝利」できるとふんだのだろうか?


「市民団体」「市民運動家」、私はこの言葉をあまり好きではない。


菅直人辻元清美湯浅誠・・、だいたい想像できるだろう。



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